アルカス暮らしのしおり

平 成 8 年 1 月 発行版より

Arkasのシッポの先が「北極星」!


         母ぐまと子ぐまの星座

 

        天地の支配者ゼウスは、アポロンの子フェートンが父の太陽神の馬車を運転して軌道をはずし、あげくのはてに世界を大火事にしたのを見て、雷を投げつけて馬車もろともフェートンを地上に落下させて、ようやくこの大事件のけりをつけた。

 この事件の結果、地上にいろいろな災害を生じたので、ゼウスは世界中をよく点検した。

 そのとき、ゼウスは当然、自分の生まれたアルカディア(ギリシャ)の地方はとくに注意をはらったのであった。

 アルカディアのいたんだ森や泉を、もとのように美しく繁らせたりしているうちに、ゼウスはふと、スポーティーな少女を見そめた。この乙女はアルカディアのニンフ(山野、河川・樹木・洞穴などの精霊)でカリストといい、処女を守ることを誓って、月と純潔の女神アルテミス(英語読みダイアナ)に従ってそのお伴をつとめていた。

 ある日、太陽がま南を少し回ったころ、深い深い森の中へ入っていった。肩からえびら(矢の入れ物)をおろして枕とし、柔らかい下草におおわれた地面に、疲れた体を横たえて休息した。

 この瞬間を、好色なゼウスが見逃すはずはなかった。ゼウスはアルテミスに姿を変えてカリストに近づいて、「私は、あなたをいちばん目にかけているのよ。きょうは、どこの丘で狩をしていたの?」とやさしく話しかけた。思わぬ所で聞いた女主人の声に、カリストはおどろいて身をおこした。「ようこそ、女神さま、あなたさまはゼウス大神さまよりもごりっぱなかた、ええ、この言葉が、ゼウスさまのお耳に入ってもかまいません」

  喜んだゼウスは、たちまち正体をあらわした。かよわい乙女の抵抗には限度があった。ゼウスはカリストをその力強い腕で抱きしめると、やがて思いをとげ、そのまま天に去っていった。

 ゼウスの妻ヘラは、人も知るやきもちやきであったから、夫の行状にはいつも気を配っていた。このときも、夫がカリストをおかしたことを、鋭い直感ですぐにさとったが、やがて痛烈な復しゅうをするときを誓って、表面はそ知らぬ顔をしていた。

  その機会は遠からずやってきた。さきの事件があってから、月は九回みちて、また同じ回数だけかけた。アルテミスは、おともの妖精たちを連れて、とある小川のほとりにくると、「さあ、ここで水浴しましょう」と、自らまずその服をぬいで、清らかな流れに身をひたした。他のおともの妖精たちも、喜々として水あびを始めたが、今はカリストは服をぬいで裸身をさらすのがおそろしく、何かと口実をつくってさけたけれども、何も知らないなかまたちは、無理やりカリストを水あびに加わらせた。

 カリストの体がもはや処女のものでないことは、だれの目にも明かであった。それを見たアルテミスは、信頼する従者の過失を知って怒り、カリストはたちまち女神の寵(ちょう)を失い、追放されてしまった。

 やがて、ひそかに男の子を産んだカリストには、さらにおそるべき出来事が待っていた。あのヘラの復しゅうを受けなければならなかったのである。

 彼女の前に立ちはだかったヘラはカリストの前髪をつかみ、地面に投げたおした。哀願するように女神にさし出したカリストの両腕は、たちまち真っ黒い硬い毛におおわれ、指先の爪はおそろしく曲り、かつてゼウスの目を迷わせたその美しい顔も、口が耳までさけて、カリストはそのまま一ぴきの熊に変えられてしまったのである。

 前には狩りの名手だった彼女は、今は逆に狩人たちの矢や槍を恐れねばならない身の上をなげかねばならないのであった。

 いっぽう、カリストの産んだゼウスの子アルカス(Arkas)は、やがてたくましい青年に成長した。

 そして、母親の血を受けてアルカスもまた狩りの名手となったから、つらい悲しい定めの時がきてしまった。

  ある日アルカスは、とある谷間で大きな牝熊に出会った。その熊こそ、あのときヘラによって熊に変えられた彼の母であるカリストにほかならなかった。

 しかしそのことを知るよしもないアルカスは、手にした槍をふるって、その大きな熊に向けて必殺の一撃を加えようとした。今こそ、十五年前に仕組まれたゼウスの妻ヘラの、まことに恐ろしい復しゅうが完了することになるはずであった。

  この有様を見た大神ゼウスは、それを放置することはできなかった。ゼウスはアルカスの槍をとどめ、彼もまた母と同じ熊の姿に変え、同時に一陣の強いつむじ風を起こして、二頭の母子熊を天にあげて星にした。

 その夜から、カリストとアルカスは、おおぐまとこぐまの二つの星座として仰がれることになった。

 しかし、こうなってもなお、ヘラのにくしみは解けなかった。ヘラは海の神オケアノス(英語読みオーシャンの語源)とその妻テーテュスのもとへ行って 訴えた。

 ・・・・ほかの女王が、天上で私のしめるべき座をしめています。

 こよい、あなた方には、夜のとばりがおりたとき、そこにある新しい星々が見えるでしょう。

 それはまさに天の極にあって、そのことが私を傷つけるのです。

 そして、夫ゼウスの行状を綿々と両親に告げたヘラはさらにどうか、あの熊の星たちをあなたの青い海に沈むのを拒んで、ゼウスに身をまかせたあの星々を追いはらい、この聖らかな海の水からその身持ちの悪い女をしめだしてしまってくださいませ。

 両親は娘の願いを聞き入れ、安心したヘラは色もあざやかなくじゃくが引く車にのって天に去り、おおぐま座とこぐま座の星たちは、いつも天の北極星のまわりを回って、決して海の水の中にその身をひたして休むことができないのである。

                                 星座の文化史(著作 原 恵)玉川選書 より